人間力だより Vol.11

 〜『他を“思う”心』の儒教的精神が日本には無くなってしまったのか〜
こんにちは、ライブウェア代表の古田です。


最近、新聞やテレビなどで連日、親子や兄弟間の殺人事件のニュースが報じら れています。人間にとって一番大切な小集団の原点である、家族の崩壊の記事 に胸が痛みます。

さらに、今まで経済大国とされてきた日本が誇ってきた面で見ても、国民一人 当たりのGDP(国内総生産)は世界の先進国中18位(全体では22位)、 昨年度の株価の下げ率は世界第2位と言った具合で、経済大国どころか、 もはや世界中からの信頼低下は歯止めの効かない状態になりつつあります。

戦後頑張って、我が国民が誇ってきた日本はいったい何処に行ってしまったの か、何故この様な集団になってしまったのでしょうか。政治が悪い、教育がど うのこうの等抽象的な要因のせいにしないで、我々は日本人として一人ひとり が冷静に考えてみることが今大切だと思います。

確かに日本と言う国家は大きな集団ですが、企業という一つの集団であっても 同じ事で、それぞれ幾つかの小集団があり、最終単位として“個人”という一 人ひとりの人間から成り立っているわけであり、いままで私はこの個人の『人 間力』づくりの大切さを訴えてきました。

つまり、一つの集団の盛衰はその規模の大きさ如何に関わらず、その集団を構 成する一人ひとりの個々人の『人間力』の強弱と連動するということです。

現在わが社では、この『人間力』について詳細にわたっての評価項目を提示し たり、それぞれについての解釈等をしておりますが、これらの各項目の基礎と なるものは、なんと言っても人間としての“思う”心ではないかと思います。

親を思う、子を思う、兄弟を思う、友達・他人を思う、顧客を思う、会社を思 う等々、自分以外に対する“思う”心があれば、自然と日常の行動にまで表れ るはずです。


最近よく日本人には儒教の精神がなくなってしまったといわれますが、二千五 百年も前から続く儒教の精神とは一言で言えば、私はこの『他を“思う”心』 そのものであると思います。

確かに今日も電車の中で、優先席に一人半分のスペースを取り、携帯電話をい じくっていたかと思えば、次は化粧を始め、前に老人が立っていようが何処吹 く風…といった様な若者を見ましたが、この様な光景が珍しくなくなってしまっ ているのが、今の日本の現実です。


私は40年近くのコンサルタント活動を通じて、数多くの方々と一緒に仕事を してきました。当時若者であった人や既に引退される年齢に達している方から 現役の若者まで、世間並みで言う時代の差は多少あったと思いますが、今振り 返って考えてみますと基本的にはこの“思う”心の持ちかたの差はいつの時代 かに関わらず人それぞれ千差万別であり、我々が現在『人間力』として見てい る観点からの高低差と同質で少なからず連動している様に思えます。



今から10年ぐらい前、約3年程度仕事で付き合った若者がおり、彼と私は親 子以上の年齢差がありました。昨年彼は家庭の事情で、せっかくこれから活躍 出来るはずの優秀なコンサルタントをやめ、生まれ故郷の台湾に帰っていって しまいました。

その彼の送別会が、あるレストランを借り切り会費制で行われたのですが、老 若男女問わず立錐の余地も無いほどの人数が集まりました。

そこへ出席した私の同僚が、

 「何故こんなに彼は人から慕われたの?
  そんなにこれと言って目立った人間でも無かったのにな」

と言っていましたが、私も一応は同感しながら、さもありなんとの別の観点か ら考えてみました。


台湾で生まれ、小学校まで台湾で育ち、中学校は日本、高校・大学は米国、大 学院は英国と過ごしたのちに、我々の同僚に仲間入りした彼は、昨今の日本人 が忘れ去った儒教の精神である、『他を“思う”心』の持ち主でありました。

私自身、彼との付き合いの中でこんなことが度々あったことが思い出されます。

彼とは日本の企業は勿論、よく上海の企業のコンサルタント活動等で出掛ける ことも多くありました。

当時の上海は車道と歩道の境界がハッキリしない所も多かったのですが、 そんな道を夕食の帰りなどによく一緒に歩いたものです。

この様なとき彼は必ず、何気なしに私を内側にして自分は車通り側に付いてい るのです。これが自然の形で行われており、いつも一緒にいる私も気付かない うちに行われていた事が今になって改めて思い出されます。
日本でも狭くて車の往来が多いような道路を歩くときは同じでした。

今になって考えますと、彼からすれば歳老いた私を危険から少しでも遠ざけて やろうとする“思い”が自然の形で出た一つの結果であり、彼が日常生活にお いて常に、『人間力』の基本である“思い”の心を持っていたからではないか と思います。

この様な日常の何気ない付き合いの結果が、特に目立った人間でもない彼が日 本から去り台湾に行く事を惜しむ、あれだけ多くの人々を集めたわけであり、 それはごく当然の事だったと思います。


彼はたまたま台湾で育ったため、今の日本人には忘れ去られた儒教の精神を持 ち合わせていたとは言いたくありませんが、是非われわれ日本人ももう一度こ の『他を“思う”心』について考えてみる必要があると思います。

最近中国では二千五百年前の「孔子」を見習う活動を始めた様であり、次回は この辺のことを少しお伝えしてみたいと考えております。





ライブウェア株式会社
代表取締役
古田貞幸

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