人間力だより Vol.19

 〜自社を「わが社と思う心」が企業活性化の原点〜
こんにちは、ライブウェア代表の古田です。


いま、米国自動車のビック3が瀕死の状態にあり、果たして再建が可能かどうかが米国経済自体の国家的問題になっています。

ロサンゼルスと中国の広州で開催されたモーターショーのいずれも、新車の発表もなく、米国のブースはガラガラの状態とのことでした。

しかし、何兆円の国家援助を要請しているビック3のトップ自体が年俸10億円以上をとり、デトロイトからワシントンにいずれも各自、 自家用機で乗り付け、米国議員から非難を浴びるありさまで、全く再建の糸口が見えません。

さらに、新しいオバマ民主党政権では、世界不況を更に広げる様な「保護貿易を考えている」といった、悪いニュースも流れてきています。


いま、日本の若者の間では、現在の政府を皮肉る意味で、『GM』とは「現場が見えない」という言葉で流行っているそうで、 偶然ではありますが、現在のビック3の経営を表しているようです。

私は今から二十年以上前、資材購買機能強化の使節団としてデトロイトのGM本社を訪問した際、 同社の各種システム及び「物づくり」にかける情熱等を幹部から説明されました。

例えば、全世界のGMグループの全製造拠点の調達品をコモディティ(原料に近い財)別に掌握して、 コストダウンの指示を瞬時にする仕組みがある等、「凄いなぁ」と感心したことを思い出します。

その時、同時にデトロイト郊外にあるGMの最高級車のキャデラックを製造する、自動化率の最も高いという、 出来たばかりのオリエント工場を見せて貰いました。

本社で説明された各種管理システムに比較して、同社が自慢とする最新鋭という「物づくり」現場に対しては、 日本の各分野の製造現場を見慣れている私にとっては、「凄い」という感じはあまりしませんでした。

しかし、日本の自動車工場には見られない光景が目に入り、GMの案内者に使節団の目的とはあまり関係の無さそうな質問をし、 恥ずかしい馬鹿なことをしてしまったと後悔した事を今でも思い出します。


しかし、今考えれば世界的自動車大不況とはいえ、米国と日本のメーカーの生き残りを懸けた力の違いの 深層を見たように思えてなりません。

それは、膨大な数のきめ細かなコンピュータによる各種システムの格差よりも、自分の勤めている企業に対する 「強い思い(ロイヤリティ)」さらに社員の『物づくり』に対する「個々人の姿勢」、組織の「活性化に向けた細かな仕組み作り」 等これらの違いが、長い年月後の米国と日本の自動車会社の力の格差となってしまったとは考えられないでしょうか。

そう考えれば、色々な管理システムの質問よりも、私は視察団員としてその時“最高の質問”をしたことになると思いました。


質問とは以下のようなことでした。

 「GMの社員の皆さんは自社の車を乗っているとは限らず、自分好みの色々な会社の車を乗っているのですね。これも自由主義国の一面ですか」

と言った内容の質問でした。

相手は、『変な、くだらない質問をする輩だな』とでも言いたげな顔をしていたことを思い出します。


オリエント工場へは、従業員の駐車場の横を通って入りましたが、日本の自動車工場を見慣れている私には、 本当にここがGM工場の駐車場かと思わせる光景を見ました。

当時、GM工場の従業員の駐車場には日本車は極わずかでしたが、フォード、クライスラーはもとよりドイツ車、 イギリス車がGM車に入り交じって沢山並んでいるではないですか。

当時の日本工場の場合、軽自動車を作っていない企業では、系列企業の軽自動車が並んでいるケースはあっても、 ほとんど自社の車が100%と言ってよいほど並んでおり、部品納入業者でさえ、出入りする際は必ずその 企業の車を使用するのが常識となっていました。

これは企業からの強制ではなく、社員各々の「我が社を思う心」からのものでありました。

(納入業者の場合は、強制的にと実しやかに語られたことも無いではなかったが、それはさておき・・・)


同様に、総合家電メーカーの社員宅を訪れた際も、その家庭の家電は全て自社のものを揃えていました。

飲料水メーカーの社員は「自動販売機の前に立てば自然と自社製品のボタンを押す」 といった行動が当時の日本の場合、自然の形となっていたわけです。


現在の様な世界的恐慌とも言える不況になれば、表面的には各業界とも大きな企業力格差となって現れて来ていますが、 この基本的原因、深層的要因は、先に取り上げた所属企業に対する「社員個々人の企業に対する姿勢」や「組織活性化に向けた細かな仕組み」 の強弱によることは、どうやら今回明白になったと思われます。


そもそも各組織というものは人の集まりで成り立っており、その人間には各々「本質的要素」と「付属的要素」の二つの面があります。


例えば『木』の場合、『根』や『幹』がなければ『木』は成り立ちません。
すなわち、『根』や『幹』があるから『花』が咲き『実』もなるわけであり、『根』や『幹』は「本質的要素」と言えます。

これに対して『枝』や『葉』また『花』や『実』は、いくら美しくとも「付属的要素」にすぎないのです。


同様に人間の「本質的要素」とは何かと言えば、それは『徳』とか『徳性』のことです。

具体的に言えば、人が人を愛する、人のために尽くす、人に報いるとか、さらには清潔、真面目、質実といったようなことであると言われています。

そうしたものが無くなったとき、人間が人間たり得るかということを考えて見れば、如何にこの「本質的要素」が大切かが理解出来ると思います。

人を愛することが出来ない、人のために尽くすことが出来ない、人から何をされても報いることが出来ない、 不潔で不真面目でということならば、これはもはや人間として如何なものかと思います。


これに対して『知識』や『技術』というのは、あればあるほど結構なのですが、無かったとしても人間として存在することには支障がありません。

同様に各企業の場合の「本質的要素」である『根』の部分は、社員個々人の「強い思い」であり、優れた「人間力」であり、 『幹』の部分は企業自体を「活性化に向かわせる細かな仕組み」であり、この辺を如何に確立するかがこの不況を乗り切る為のポイントであります。

その為には自社のこの「本質的要素」を虚心坦懐に反省して見ることも、この際必要ではないでしょうか。


最後に付け加えておきます。

GM社のトップはどうか知りませんが、少なくとも社員は今、再建に向けて血の滲む様な努力をしているとのことで、彼らの為にも一日も早い立ち直りを祈りたいと思います。


ライブウェア株式会社
代表取締役
古田貞幸

人間力を可視化する
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